中田敦彦氏のYouTubeコンテンツへの批判に対する反論

 Twitterの方で中田氏批判に対し少し反論めいたことを書いたのだが、Twitterでは字数制限がまどろっこしい。ここに独り言という形で自分の考えをまとめておく。予め書いておくが、私も中田氏の動画に不正確な点があることは認める。そして、専門家の皆様に無償で中田氏のコンテンツを監修しろなどと失礼なことをお願いするつもりもない。その上で私は、中田氏の動画に対してアカデミズムを振りかざし、コンテンツごと葬り去ろうとする態度に対して疑問を感じるのである。

 まず、中田氏を批判している知識人たちが間違っている最も大きな点は、学術界における知識とYouTube界における「知識」を完全に同じ位置付けで捉えている点である。学術界での知識とYouTube界での「知識」にどのような差異があるのか。ここでは3点について指摘したい。

①コンテンツの質的な差
 言うまでもなく、学術界で要求されるアカデミックな質は高いレベルにある。一方のYouTube動画だが、何処のまとめサイトから引用して来たのか分からないような動画も多く、平均的な質が圧倒的に低い。その中で、中田氏の動画は誤りは含まれているものの相対的に質が高い。

②コンテンツの受け手の差
 学術界での論文の読み手はアカデミックな教育を受けた層である。そのため、アカデミックな文章を読むスキルを持っている。
 一方のYouTube界であるが、多くはそのようなスキルを持たない大衆である。つまり、学術界でのレベルと同じレベルの動画を提供されたとしても、それを理解することは難しく、そもそも最初から視聴されないだろう。

③コンテンツの供給者の性質
 学術界での書き手は主に国からお金を貰っている研究者である。そのため、一般大衆の需要を気にすることなく論文を書くことができる。YouTubeで一般大衆にアカデミックな分野を分かりやすく説明して広告収入を得なくとも、もっと確実な方法で給料を貰えるのである。その意味では、研究者がYouTubeに動画投稿するインセンティブは0である。
 一方で、Youtuberは広告収入に頼る必要がある。コンスタントに収入を得るためには、それなりの頻度で動画投稿する必要がある。その制限の範囲内で動画の質の向上を図る。

 以上のような学術界とYou Tube界の差異を考慮に入れて、もう一度中田氏のコンテンツについて考えてみる。中田氏の動画の特徴は、YouTube界で相対的に質の高い動画を、それも一般大衆の需要に合致した動画を、コンスタントに上げ続けているという点にある。それは学術界の論理では理解できないことであろうが、YouTubeと大衆娯楽という観点から見れば非常に画期的な存在であると考える。

 では次に、考えられる反論について1点取り上げる。
 世の中には一般向け書籍のような専門家によるコンテンツも流通していて、中田氏の動画のようなものがなくとも、一般人はそういったものに頼ればよいという反論。これは、そもそも中田氏の動画の視聴者層を誤って捉えている。今は大学生の半分は本を読まない時代である。本を読むことに対するハードルが高いのである。知的好奇心を満たそうと思えば、中田氏の動画より相対的に質の低いネット上の有象無象のコンテンツで事足りるのである。そのような中で、たとえ不正確であったとしても中田氏の動画には読書の世界への入口としての役割も期待できるのである。中田氏は自身の講義を正確性を保証するものとはしていないし、寧ろ本の紹介という形を取っているのだ。

 以上のような理由で、私はアカデミズムを振りかざして中田氏のコンテンツを叩き潰そうとする動きには反対である。しかし、だからといって現状の中田氏のコンテンツが最良の形という訳ではない。学術界の論理とは一線を画したYouTubeという制限の中で、如何に動画の正確性を高めていくか、今後の中田氏の課題となるだろう。
(追記1/17 至急中田氏側が具体的に取るべき行動としては、専門家による批判を受け入れ、訂正すべき点があれば訂正動画をあげることである。また、私は専門家による中田氏の動画の内容に対する批判反論は正当なものであると考えている。あくまでも、中田氏のコンテンツ自体を全否定し叩き潰そうとして、その視聴者を愚民であるかのようにあざ笑うことに対して批判しているのである。)
 
 最後に一言、中田氏の動画は「知性の敗北」などではなく、YouTube界には元から「知性なんてなかった」。
(追記1/17 流石にこう書くとYou Tubeに正確な知識に基づいた動画を上げている人に失礼かと思ったので、若干補足する。確かにそのような動画もあるし、それらは大切にしていくべきだ。一方、それらの視聴者は、既にアカデミックなスキルや好奇心を身に着けた者が中心ではないだろうか。新たな知的好奇心を開拓するという意味では、中田氏の動画も役割を果たしうると考える。)
YouTube界、ひいては大衆界での知的営みの芽吹きを消し去ることなく、「多少の間違いがふくまれていたとしても、それまで知らなかったことを理解出来て楽しい」という純粋な知的好奇心から育てていくべきだ。

訂正1/18 一部不適切な部分を訂正しました