なぜ「”中流”東大生」に嫉妬するのか

「”中流”東大生」が炎上しているとかいう話を見かけたので、なんで炎上しているのか、以下私の思うところを書き連ねる。

 

後述する理由により、個人を晒す形にはしたくないので、発端となったツイートは貼らない。

 

なぜ「”中流”東大生」に嫉妬するのか。

以下の内容は全て、何らかの裏付けがあるものではなく単なる想像であるが、私なりに仮説を考えてみた。

 

私が思うに、人は、自分が欲しいもの/欲しかったものを他人が持っているという状況に対して、嫉妬する。しかし、皆さんが東大生になりたかったとして、すべての東大生に等しく嫉妬するわけではないし、持っている才能に比例して「嫉妬度」が上がるわけでもない。では、「”中流”東大生」がその辺の東大生より嫉妬を集めている原因は何なのだろうか。

 

その原因として多くの人が挙げているのは、「彼女は本当は中流ではないのに中流を名乗ったから」「彼女の意識が庶民とかけ離れているから」ということだ。しかし、彼女の意識が一般人とかけ離れていようが、それ自体は自分と何の関係もないことだ。原因は、もう一つ深い所にあるように思う。

 

その原因は、無意識に他人の人生や家庭を「ランク付け」していることではないだろうかそのことによって、自分の生き方を「否定された」と感じる人が出てくるわけだ。そのことによる反発は、単なる嫉妬というよりは、自分の生き方を否定された怒りといったものに近い。その分、彼女のツイートは激しく炎上することとなったのだろう。

 

では、具体的に「ランク付け」とは何か。

彼女のツイートには、例えば以下のような前提が内包されているように感じる。

・東京に実家があることは、地方に実家があることよりランクが上

・文化レベルが高いことは、文化レベルが低いことよりランクが上

・小学生で留学することは、留学しないことよりもランクが上

・東大に入ることは、他の大学にはいるよりもランクが上

 

実際はそういうつもりはないのだろうけれど、これらからは「ランク付け」が感じられる。確かに東京に住んでいることや、「高尚な」文化に触れてきたことや、小さい時から海外経験を積んできたことは、東大に入る上ではアドバンテージだろう。そして、東大に入ることは、「地位」の高い職業に就く上ではアドバンテージだろう。しかし、それらは全て、「地位」の高い職業につくことを「勝ち組」とみなし、「勝ち組」となるためのアドバンテージで家庭や人生の優劣(=ランク)を決める東大的価値観」を前提とした話である。

 

さて、このような「ランク付け」を前提としたツイートを見たとき、「東大的価値観」に縛られない生き方を目指す人々や、「東大的価値観」で「低ランク」とみなされた人々は何を感じるだろうか。例えば地方に住んでいる人は、東京に住んでいることが地方よりもアドバンテージであるという前提に対して、違和感や怒りを感じる。留学を経験したことのない人は、留学が人生のアドバンテージであるという前提に対し、違和感や怒りを感じるだろう。

 

しかし、ここで議論を終わらせるのではなく、もう一つ付け加えたい。今回「”中流”東大生」に対して嫉妬したり、怒ったり、批判したりしている方々は、単に「”中流”東大生」だけに怒りを感じているのだろうか。それは、「ランク付け」に縛られない人生を歩みたくても、やはり「ランク」が気になってしまう自分自身への怒りもあるのではないか。様々な場面で「ランク付け」を行う社会全体への怒りでもあるのではないか。

 

私はこの議論で、「”中流”東大生が悪い」という結論にはしたくない。「東大的価値観」「ランク付け」に縛られない生き方を受け入れるには、社会全体が変わる必要があると考える。

 

 

<補足>

この文章では「東大的価値観」という単語を何度も用いたが、東大生が全てその価値観に縛られているという意味ではない。